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松本 暁(まつもと あかつき)
詩人 utanoha代表

<ライブ情報>

・2014年4月13日(日)
■会場
東京倶楽部千駄ヶ谷店
■時間
open 13:30
1st stage 14:00
2nd stage 15:20
■料金
2100円(2ドリンク込み)
■出演
松本暁(詩の朗読)

・2014年4月20日(日)
■会場
中野aman
■時間
start 17:30
no charge
■出演
鈴木純、松本暁、長男ズ、廣瀬恭平、theharerock and more

・2014年5月11日(日)
デンデケプロダクション Vol.8
■会場
渋谷ラストワルツ
■出演
重力2、ランランズ、ヨソハヨソー、Swingy×松本暁、大谷彩子、grinramma




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中山聡 詩集「東京」
UTP-0002
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興味をもってくれたかたは、
info@utanoha,jpまでメールください。


カテゴリ:インドに詩の朗読をしに行く( 26 )
僕が出会ったサドゥーたち
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2013年 マハ・クンブメーラー アラハバードにて
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by matsumotoakatsuki | 2014-04-20 13:36 | インドに詩の朗読をしに行く
大きな丸い月が浮かんでいた。僕は頭上にたるんだ布の隙間からのぞく夜空をぼんやりと眺めていた



典久と知り合ったのは僕が小学校一年生の時だった。出会ったその日に典久はうちに来て昼ご飯のラーメンを食べていた記憶があるから、きっとその日は土曜日か日曜日だったんだろう。よく喋る子やったねえと母親が晩に振り返っていたほど元気なやつで、家も近かった僕らはその日から今まで振り返れば幼なじみになっていた。

近隣の中学に筑紫に筑山ありと恐れられていた僕の中学校で、3年の時典久は生徒会長をつとめていた。卒業式の朝、彼は頭はリーゼント真っ赤な学ランの背中に豪華絢爛派手な刺繍といういでたちであらわれた。なんのことはない。一番の不良が生徒会長をしていたというだけのことだ。大学で僕は東京に出て、彼は地元周辺で仕事を始めた。会うのは数年に1度になったけれど時々いつもの調子で電話がかかって来る。
「もしもし、なんしようと?」

6年前、僕らはマハ・クンブメーラーが2013年の1月にアラハバードで開催されることを知り、そんなにすごいお祭りなら絶対行こうと約束をした。それが実現した。今回インドには、僕は中国経由で、典久は後輩のかっちゃんと一緒にバングラ経由でそれぞれ別ルートで入国し、コルカタで合流した。サダル・ストリートの脇道に立つホテル・パラゴンのフロントで、聞きなじんだ声に地元と同じ調子で「暁」と呼ばれ振り返った時は、失ったはずの過去の記憶を取り戻したタイムトラベラーのような、非日常と日常が1度ずれてまたくっつき直す感覚を味わった。

今回のインド旅行の、僕の最大の目的は、2009年1月1日に小久保しずかと松本暁の二人でかわした結婚の証の指輪を、ガンジス川に投げ入れることだった。シルバーとゴールドが円を描き絡み合う指輪を聖なる日の曙で染めあげ、過去現在未来を飲み込み流れるガンガーのふところにおさめる。僕らの指輪を地球の歴史にしずめてやりに、僕はインドへ行った。僕らは2012年の10月14日に離婚したから、インドに着いた時すでに指輪はつけていなかったけれど、絶対に失くさない場所に肌身離さず持っていた。

コルカタからアラハバードまでの中継地点として、まず僕らは列車で一晩かけてバラナシへ向かった。バラナシからアラハバードまでは車で3時間あれば行ける。行こうと約束したときから数えれば6年間と、プラス数日間かけて、僕と典久はマハ・クンブメーラーにたどり着いた。

あてもなく夜のお祭りのなかを歩き出した僕らは、道ばたのサドゥーのテントに泊めてもらえることになった。弟子らしき若いお付きの者や信者のような数人が、テントの真ん中に座るサドゥーの周りをとりまいている。そこに入れ替わり立ち代わり祝福を授けてもらいにインド人の巡礼がやってきた。外に立ったまま手を合わせている彼らはテントに入ることはできない。目を合わせてもらえるだけでもうれしそうだ。僕ら外国人観光客にチャイをふるまいながら、サドゥーは自己紹介した。
「私はナーガ・ババだ。ジャイプールから来た」
彼は長い髪を頭のてっぺんで束ね、髭は首が隠れるほど伸びていた。体中に白い灰が塗られていた。一枚の服も着ていなかった。

中学校の後、高校で僕は進学校に典久はヤンキー校に通うようになり電車の方向も反対になったから、会うのも駅でたまにというふうに減った。典久は数ヶ月会わなかったかと思えば夜にふらりと僕の家に遊びに来たりして深夜に帰ってゆく。日曜日の午後に近くの池の土手でばったりということもあった。

ある日の夜更け、友人の一人が突然尋ねて来た。彼も不良街道を爆音を上げつっ走っていた者の一人で、けれど家にノーアポで来るほどには普段親しくはしていなかったのでなんだろうと思っていたら、その友人はドアを開けるなり息せき切って僕に質問してきた。
「典久がどこにおるか知らん?」
なんだか切羽詰まった雰囲気だったので、知らないと手短かに伝えると、彼は「分かった、いきなりごめん」と、マフラーを取り外したバイクにまたがり走り去った。何週間か経つと、典久は何事もなかったようにまたふらりとうちに遊びに来た。僕も別になにも聞かなかった。

僕は東京に出てからは2、3年に一度しか実家に帰らなかったから、会う頻度もそれぐらいになった。僕が芸術だなんだだと親のすね齧りにうつつをぬかしていたころ、典久は福岡でしっかりと仕事をしていた。どんな仕事をしているかはよく知らなかったし、典久も詳しくは話さなかった。会うたびに乗っている車が違った。ある時ダッシュボードに分厚い茶封筒が置いてあったので、手に取ってみると中には1万円札がずっしり束になって入っていた。そんな20代前半から時は流れ、僕ら二人が暮らす環境や毎日の生活は小学生の頃と比べてかなり変わったし、それぞれいろんなことがあったけれどいやあったからこそなのか、会えば昔と同じいつも通り、いつだったかそんな関係を幼なじみと呼ぶんだとはたと気づいた。

僕はナーガ・ババの右側に、典久は左側に、たき火を挟んで向かい合うように座っていた。この裸のサドゥーは屈託のないお人柄で、終始上機嫌陽気に冗談を言っては笑っている。
「特別な技を見せよう」
ナーガ・ババがやおら立ち上がった。なにかを披露してくれるらしい。日本語で苦行者と訳されるサドゥーたちは、さまざまな修行を重ね神に近づこうとしている。片手を10年以上も上げたままのサドゥー、何年も立ったまま座らないサドゥー、絶対に声を出さず喋らないサドゥー。そして。

ナーガ・ババは木の棒を一本取り出した。その細い棒に、自分の性器の先の皮をまきつけぐるぐるぐるぐるまきつけ股を通して両尻でぐっと絞める。棒の両端はそれぞれ右手と左手で握っているからちょうど誰かをおんぶするようなポーズだ。そこに阿吽の呼吸でお付きの弟子が自転車の二人乗りみたいに軽快に飛び乗る。ナーガ・ババは、かけ声をあげ狭いテントの中を踊るように走り回った。

「見事なコンビネーションやね」
典久がつぶやく。
背負った弟子の重みを性器の皮を巻いた棒切れで支え、ナーガ・ババは悶絶するでもなく平然としている。彼は嵐のような必殺技を炸裂させ終わるとゴザに座り直し、無言でこちらを見て来た。何かを待っているどや顔だ。
「ドネーションが欲しいみたいやね」
僕は典久と顔を見合わせ、ポケットからサイフを取り出す。

ナーガ・ババは手のひらで大麻樹脂とタバコの葉を揉みあわせチュラムという素焼きのパイプに入れ、マッチ2本で火をつけ息継ぎのように深吸いするとドライアイス10個分ぐらいの白煙をブフォーと吐き出した。警察官が目の前にいようとお構いなしだ。
「お前たちは外国人だから、テントに泊める際は警察に伝えておかないといけないのだ」
全裸でどっしり構えそう言い放つ。あの横暴な感じのインドの警察官もなんだかぺこぺこしているから驚きだ。ナーガ・ババのテントは、木の棒を何本か立て、それに壁がわりと屋根がわりに何枚かずつオレンジ色の大きな布を張っただけのもので、半分野宿の吹きさらしと言ってもいいシンプルなものだった。ナーガ・ババは「ジャイプールに来たら私のアシュラム(道場)に泊まりなさい」と微笑み、寝るときは毛布まで用意してくれた。服は最後まで着なかった。

大きな丸い月が浮かんでいた。僕は頭上にたるんだ布の隙間からのぞく夜空をぼんやりと眺めていた。隣にいた典久が独り言みたいに言った。
「想像を超えとった」
僕は典久の横顔を見る。彼は続けた。
「超えとったねえ。想像をはるかに超えとった。こんなところがあるっちゃね」
そう言いながら典久はテントとその外に広がるマハ・クンブメーラーの町並みをはるばるとしみじみと見渡す。次の言葉が彼らしかった。
「子供たちに見せてやりたい。連れて来たいね」

かつて天竺と呼ばれた遠い国には、こちらの常識がシャッフルされそうな暮らしを営んでいる人たちがいた。そんな人間たちが、たとえ大多数とは一生会うことがないとしても、地球には何十億人もいる。なんてカラフルな世界なんだろう。


1 アラハバードという町で12年に1度開催されるマハ・クンブメーラーというお祭りを見る


今回のインド旅行の僕の1つ目の目的であり、6年前からの典久との約束はこれで達成だ。寝袋に潜り込み、眠るため朝を迎えるために目を閉じた。夜が明ければ僕は2つ目の目的を果たさなければならない。


2 もうつけることがない結婚指輪をガンジス川に投げ入れる


そんなことでなにかが吹っ切れるとかは考えていなかった。ただそうしたかっただけだ。僕はそのためにはるばるインドまで来たのだ。





2013/1/26-27
マハ・クンブメーラー インド 
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by matsumotoakatsuki | 2013-05-31 19:41 | インドに詩の朗読をしに行く
あっちに行きたいこっちに行きたい行ったら行ったでやっぱり戻るって、一体どこに行きたいんだ?



今日、2013年1月26日、僕らは、日本人総勢6人プラス、ドライバーのアロックというメンバーでアラハバードへ向かっている。

アラハバードでガンガーの流れはヤムナー川と交わる。合流点はサンガムと呼ばれ、マハ・クンブメーラーはそこで開かれる。僕らはアラハバード市街には行かず直接サンガムへと向かい、そこで宿泊先を探す。えださんたちの情報では、パイロット・ババと呼ばれる修行僧が観光客をテントに泊めているらしい。場所はセクター9。現地に着いたらまずそこを探すことになるだろう。東へとひた走る白のシボレーを赤く染める乾いた夕日。向こうに着く頃には空は真っ暗になっているに違いない。

2000万人が集まるという12年に1度の祭り。聖なる星巡りの日の朝、国中から集まった人々がガンガーの母なる流れに身をひたす。サドゥーと呼ばれる修行者達もまた国中から訪れ、その中にはヒマラヤ山脈の奥地からやって来るサドゥーもいるという。サドゥー。神と一体化するために俗世間を離れ苦行に身を削る真理への巡礼者。彼らの目的もやはり聖なる日での沐浴だ。

1ヶ月におよぶ祭りの期間中、おそらく最も聖なる日は新月の2月10日。サドゥー達が大挙して沐浴するのもその日。日本で僕がネットから得たこの情報はこちらに来て出会った旅行者たちの情報からも裏付けられている。今回のインド旅行の僕の日程的デッドラインは2月3日で10日までの滞在はできない。それならばと狙いをつけたのが、明日1月27日。夜には満月がのぼる明日もまた聖なる日の1つのようだ。

今はもう8時過ぎだろうか。いつのまにか皆黙りがちになる。道路標識にAllahabadの文字が照らし出される。地図によればそろそろ橋があるはずだ。見えた、前方のあれだ。アロックがアクセルを踏む。シボレーが橋に入る。

僕らは車の窓の外、橋の下一面に広がる眺めに目を見張り一瞬後に歓声を上げた。神話によるとサンガムではガンガーとヤムナーの2本の川に加え、もう1つ、まぼろしの聖なる河サラスワティも地下で合流しているとされる。その聖なる河が人の祈りによって輝きながら地上に出現したかのような眺め。橋の下東西南北何キロにも広がる両岸の中州にオレンジ色の灯りで電飾された町があらわれた。金のアクセサリーを河原にしきつめたようなその夜景は、一番近いのはディズニーランドの夜景か、ただ面積は段違いにこちらが広い。これがマハ・クンブメーラー。なんだこれ!?

シボレーは橋を越えるとすぐに川岸におりる道へ左に曲がった。高速道路の料金所みたいに雑然と車が停まる中を抜け僕らはマハ・クンブメーラーの会場に入ってゆく。そこはまるで手作りのおとぎの国。碁盤の目のように整然と区画された道に大小のテントが並び、お城のような門を構えるテント、聖者の肖像を大きく掲げるテント、どれも電球で縁取られ飾り立てている。橋の上から町に見えたのは、広大なテント村だった。いや、テント町と言うべきか。木や布で張られたテントに満開の電飾、見る者を吸い込むあでやかさで薄靄に浮かび上がるイルミネーション。道はというか地面は白い砂地で、ここが普段は川の中州なのだと思い出す。

アロックが車を止めた。こっちを見る。
「サンガム」
左右にはテントの町並み。道は前方で帯のように横たわる暗闇で途切れている。浮き橋らしきものが見える。横たわる暗闇の正体はガンガーか。

アロックはドライバーとして一緒に来てくれているけれど、ガイドという訳ではないので、祭りについて特別何か知っている訳ではなく、英語がまったく話せないから通訳になってもらえるわけでもない。一応ネットカフェでプリントアウトした地図を持ってはいるけれど、印刷が荒いし文字も読みづらい。そもそもアロックとのコミュニケーションがままならないからうまく活用できでない。

ちなみに今いるのはセクター何なんだろう。パイロット・ババはセクター9にいるらしいのだけれどくわしい場所が分からないままなんとなく発進したシボレーは木でできた浮き橋をガタゴトと渡り向こう岸に着いた。各十字路にはチェックポストが置かれていて警察が管理している。アロックが窓から警官にパイロット・ババについてたずねるが知らないようだ。これだけのテントを全部把握するのは不可能だろう。知らなくても不思議はない。次のチェックポストで同じやり取りをする。こんどの警官はパイロット・ババのことを知っていた。道を教えられアロックが車を出す。

しばらく進んだあとシボレーを止めアロックが「パイロット・ババ」と人差し指で差したのは、本物のお寺みたいに立派なテントだった。正面には、パイロット・ババらしきありがたそうな写真に文字が踊る垂れ幕。まるで新作をリリースする人気ミュージシャンの巨大ビルボードだ。

アロックはどうだ着いたぞ、という顔でこっちを見て来るけれど、僕ら旅行者はちょっとした作戦会議が必要になる。おそらく沐浴場はセクター3にある。ここセクター9は沐浴場の対岸に渡りさらに車で行った先で、見渡すと辺りは若干町外れ感がただよう。セクター3まで歩くとどのくらいかかるだろう。車に乗っていた時間を考えてもけっこう遠い。沐浴は早朝なのでセクター3の周辺が望ましいのだけれど。

ということで僕はアロックに車を出してほしいと身振りで伝える。なぜ!?という顔になるアロック。こちらとしてもどこかに行くあてがある訳でないけれど、もう少し探してみたい。すっかり仕事終わりのモードになっていたアロックは肩をすくめシボレーを発車させる。僕はチェックポストで警官に祭りの中心はどこかたずねると警官はセクター6だと答えた。祭りの中心なら宿泊出来るテントを探しやすいと思ったのだ。アロックにセクター6に行ってほしいと頼む。以下推定の日本語訳。
「バラナシからサンガムに来て、パイロット・ババのテントまで送り届けたぞ。そしたら今度はセクター6か。元来たほうに戻るんだぞ」
アロックが地図のプリントアウトを手に取り回転させる。
「またあっちに行くのか」
シボレーは再び浮き橋を渡る。

セクター6に着いてみると中心というからにはさぞかし大きなテントが並びとりわけ派手なイルミネーションが光っているのかと思いきや、停車した車から外を見ると辺りはなんだかセクター9よりうら寂しいというか薄暗い。テントも小さいし人も全然歩いていない。本当に中心?質問がうまく通じてなかったんだろうか。最初に車が止まった辺りが一番にぎやかだったしガンガーも近い。これ以上さまようよりはアロックには度々で悪いが最初着いた辺りに戻ってもらうほうがいい。

アロックがついに切れた。
「あっちに行きたいこっちに行きたい行ったら行ったでやっぱり戻るって、一体どこに行きたいんだ?」
と捲し立てて来る。もっともな話だが僕もつられて口調が強くなる。
「ごめんね、だけど仕方ないんだよ。僕らはマハ・クンブメーラーについて詳しい情報を持ってないから行ってみて確かめるしかないんだよ」
やってられないよと言うように両手を上げ天を仰ぎアロックが車を出す。僕らは散々行ったり来たりしたあげく、最初の地点に戻ってきた。明日の朝9時同じ場所でと約束しアロックと別れる。

車移動で疲れた体にほっと一息入れようということで、まずはチャイ屋を探すことにして辺りを歩いてみる。道には人がちらほら売店のスタンドもぽつぽつと見える。すぐにあっちゃんが皆を呼ぶ。サドゥーが巡礼に食事を施しているテントを見つけたと言う。入り口から中をのぞくとすぐ目の前に僕らを見てにこやかに笑う修行僧が立っている。彼がこのテントのババ(僧侶に対する尊称)だろう。テントの大きさは10メートルかける15メートルというところか、向かって右に鍋や皿が並び左に敷かれたゴザに座る年齢性別様々なインド人達がプレートに盛られたカレーを食べている。僕らは靴を抜いで中に入る。

僕のプレートにライスと豆カレーが盛られる。ゴザに座り地面にプレートを置き、手を合わせいただきますと右手主に人差し指中指薬指をカレーにつっこみライスとまぜ親指を添え口へと運ぶ。うまい。お腹が空いていたことに今頃気付いた。食べ終わり自分が使ったプレートを水場で洗った後、ババに手を合わせて晩ごはんのお礼を言い、泊めてもらえないかたずねると、それはできないという返事。お礼を言いテントを出る。さて今夜は寝床を求めてどれぐらいさまようことになるのやら。僕らは歩き出す。靴が白い砂にめり込む。と、

「ヘイッ、カム、カム!」

僕らを呼び止める声がする。振り返ると、道の脇に張られたた小さなテントから、髭を伸ばしたサドゥーが僕らに手招きしている。テントに歩み寄り「ナマステ」と手を合わせ挨拶する。中には数人のサドゥーが座っている。中心に座っている僕らを呼んだ髭のサドゥーがこのテントの主宰者のようだ。
「お茶でも飲んで行きなさい」
髭のサドゥーがにこやかにすすめてくれる。テントは数本の柱と屋根壁代わりのオレンジ色の布だけのとても簡素な作りだ。テントの真ん中には刃先をマリーゴールドの花で飾ったシバ神の三つ又の矛が立てられ、そのそばに横倒しに据えられた切り株のくりぬいた幹の中で、火が燃やされている。僕らは靴を脱ぎ荷物を隅に集めて置き腰を下ろし、「ナマステ」と手を合わせ改めて挨拶をする。そこで日本人一同今日2度目の呆然の瞬間を迎える。

髭のサドゥーが僕らを歓迎してくれるのか祝福を与えてくれるのか、やおら立ち上がり、右手を差し上げ舌を出し一本足でポーズを決めた。彼は体に灰を塗っただけの全裸だった。





2013/01/26
マハ・クンブメーラー
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by matsumotoakatsuki | 2013-04-07 02:26 | インドに詩の朗読をしに行く
アロックと6人の日本人 おまつりに行った
  



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アロックと6人の日本人 おまつりについた


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2013/01/26
バラナシ_マハ・クンブメーラー
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by matsumotoakatsuki | 2013-03-07 21:17 | インドに詩の朗読をしに行く
僕はいつもこの曲がりくねった路地を行ったり来たりしている
   


2013年1月26日午前1時16分

僕と典久とかっちゃんは早足でガンガー沿いをメインガートへと歩いていた。石段の上に竹で編んだ日よけのパラソルが並んでいる。その下には修行者や夕方のプージャに来たと思われる老夫婦、子供たち、鳴り物で結婚を祝う若い夫婦、いくつもの家族と大勢の観光客。その間をすり抜けながら進む。

ガートと呼ばれる川へ下りるための足場。足場と言っても実際には階段でもあり道でもあるような川岸を覆って続く石畳で、横にはジブリに出て来てもまったく違和感がない赤茶けた城壁のような建物が並ぶ。誰かが暮らしているのだろうけれど、建物同士の境い目もはっきりしなければ入り口がどこにあるかも分からない。かと思えばその隣に外国人旅行者向けゲストハウスの派手な看板が出ていたり、壁にカラフルな神様の絵が描かれていたり。

そんな景観が僕の左手南北に見渡す限りだ。正確に言えばそれもせいぜい数キロメートルということなのだろうけれど。沐浴のために作られたガートを今では外国人が遊歩道のように闊歩し、ボート屋、チャイ屋、土産物屋、マッサージ屋が商いを競う。牛がいる。犬がいる。ヤギがいる。屋根の上にはサルがいる。木の枝にはリスがいる。ガンガーとの接点にある信仰心がこの町の心臓になり人を集め動かしている、というのがバラナシに対しての、アッシーガートとメインガートの間に毛細血管のようにはりめぐらされた迷路みたいな路地ベンガリートラのかたすみに寝起きしている外国人の、僕の印象だ。

バラナシは仏陀の時代にはすでに北西インド有数の宗教的聖地だったはずで、町そのものの歴史は相当に古い。日本書紀が編纂される千年ぐらい前には成立していた都市であり、それが現在も昔と同じありかたで存在しているという文化的な連続性は、霧の底にどっしりと重量をすえた大岩のような、無言で揺らぎがたい品格を町とそこに住む人たちに与え、旅行者の僕を圧倒する。

僕の右手、ガンガーを挟んだ対岸にはなにもない。本当になにもない。砂浜と中木林が見えるのみ。聖地とはいえ観光地なのだから実際のバラナシは騒がしくて忙しい町だ。けれど対岸には白砂の上にまばらに雑草を生やす中州とその奥にかすむ切れ間のない木立が生えているだけ。宗教的に不浄の地とされ、アウトカーストとして人の世の穢れを負わされた最下層の人々が住む対岸の眺めはおそらく、1000年前と変わらない。多分2000年前とも。朝日はその方角から登って来る。

「ハロー、マイフレンド。ゲンキ?オニーチャン」
笑いかけてきたインド人が握手を求めて僕の足を止め手を取り、そのまま両の手のひらで僕の右手を覆い、頼んでもいないハンドマッサージを勝手に始める。もちろんそのあとはお金の話になるに決まっているので早々に振りほどくと、
「ベリー・ベリー・グッドマッサージ」
と営業トークを始めるので、「サンキュー、ナマステ」と笑顔で手を合わせ背を向け歩き出す。観光客と巡礼とで混雑したメインガートの石段にも僕らが探している、えださん、あっちゃん、りょーたくんの日本人旅行者3人の姿はない。




その4時間ほど前 2013年1月26日午前9時43分  フレンズ・トラベル

日本円をルピーに両替してもらっているところへ、えださんが通りかかった。「ちょうど探してました」といつものニット帽にベージュのカーディガンといういでたちの彼がフレンズ・トラベルに入って来る。建物の壁にくりぬかれた箱のような半地下にデスクとパソコンと来客用の椅子を置いただけの完全にシンプルな作りで壁の上半分はくっきりした赤色、モンドリアン的に黒の縁取りで区切られたその下は白。フレンズ・トラベルは、ビッグ・ボスと呼ばれながら笑って仕事をこなす妻と、メガネにひげでなりはちゃんとしているがデスクに尻が座らないのは子供なみにも見える夫がふたりでやっている旅行会社だ。クミコハウスからベンガリートラのメイン通りへ向かう途中にある。

えださんとはインド北西部の大都市コルカタで出会った。サダル・ストリートの道ばたにテントを広げたチャイ屋の向かいの椅子に座りあったのが初対面。僕らと同じ目的でバラナシに来た彼とは前日に再会し、そのときに、僕らはバスよりは割高だが車をチャーターするつもりだということ、もちろん一緒にチャーターするのも大歓迎ということを伝えていた。その件でとえださんが話し出す。
「僕らもねえ、一緒に車で行けたらと思って。まだ大丈夫ですか?」
僕は答える。
「全然大丈夫ですよ。これから車一台で何ルピーぐらいかかるか聞いてこようと思ってて。だからお金がいくらかはまたあとでいいですか?」
「全然大丈夫です。ありがとう」

大きなバックパックを背負った西洋人カップルが表を歩いてゆく。広いところでも3人すれ違ったらいっぱいいっぱいという道幅のベンガリートラには、大音量でインド音楽を流すCD屋、スカーフやショールを緞帳のように店頭に吊るしたシルク屋、服屋、生活必需品が手に入る売店、シタールやタブラなどの演奏が聞こえてくる楽器屋兼ミュージックスクール、フレンズ・トラベルのような旅行会社、神様の像を売る土産物屋、ネットカフェ、レストラン、お菓子屋さんなどなどが狭い石畳の通りに両側から覆い被さるように軒を連ねる。夜にはオレンジ色の電灯で照らされるベンガリートラはまるで夏祭りの縁日だ。

「何時ぐらいに出発する感じですか?」
「うーん、昼ぐらいには出発したいんですよね。だいたい車で3時間ぐらいじゃないですか、向こうまで。できれば暗くなる前に着きたいっすよね」
「そうですね。了解です。じゃあまたあとで」
「またあとで」




その4時間ほど後 2013年1月26日午後1時19分 メインガート

「ちょっと待って、ちょっと待って」
僕は前を歩く典久とかっちゃんの二人を呼び止めた。
えださんたちがいるとしたらどこだろう。ガートの南端にあるアッシーガートのほうか、火葬場のある北端のマニカルニカガートのほうか、あるいは川を離れたゴドリヤの交差点のほうか。
「なんかさ、せっかく3人おるけんバラバラに探さん?」
「いいよ、じゃあ俺はベンガリートラのほうから見て帰るわ。かっちゃんは川のほうから帰ってよ。暁はマニカルニカ・ガートのほう行ってきて。2時に宿集合でいい?」
典久がてきぱきと割り振る。何かを決定するときの典久は素早くて明確だ。僕はいつもふわふわしているから「お昼」なんてやわらかい時間帯で約束をしてしまい、そのせいで今えださんたちを探し歩くことになってしまっている。
「じゃあ2時にクミコで」
僕らは3方向へ分かれて歩き出す。




その3時間ほど前 2013年1月26日午前10時21分 デヴィ・バラナシ・ミュージック・ハウス

ナヴィンは僕が前日話したライブのアイディアについて、特に何か言ってくることもなくタブラのレッスンを進めている。だから僕もことさらその件は取り上げなかった。ナヴィンにはまだうまくこちらの気持ちを伝えられてない気がする。早くいろいろなことをフィックスさせなければいけないけれど、こちらの都合だけで急ぐわけにはいかない。

クミコハウスからゴドリヤ方向にベンガリートラを歩いて5分ほどの左側、手を広げれば両側の壁に指がつくほど狭い作りのデヴィ・バラナシ・ミュージック・ハウスで、僕とナヴィンはタブラを間に置き斜めに向かい合って座っていた。
「今日は新しい言葉を教えるよ( Today I give you new words. )」
ナヴィンが僕のノートに文字列で楽譜を書く。


Dha Tee Te Dha | Tee Te Dha Dha
Dha Dha Tee Te | Dha Dha Tun na


タブラは面白い。叩き方によってDhaやTunなど一つ一つ音に名前があり、タブラはその組み合わせや配列にしたがい演奏される。言葉で出来た音楽。なんだか哲学的で宇宙的だ。

表でナヴィンの弟のゴパールが日本人と話す声が聞こえて来た。カーテンから顔を出してのぞいてみると、えださんたちだった。
「こんにちは」
「おお、暁さん。こんなところで。習ってるんですか?」
「そうなんです。ちょっとやってみようと思って。このあとどんな予定です?」
「お昼にはクミコに戻ってると思いますよ」
「了解です。俺は、ソナの店が11時に開くんで、このあと行って車のこと聞いてきて、それでお昼にクミコ戻りますよ。その時ならだいたい金額とか分かると思います。じゃあお昼に」
「お昼にまた」




その1時間ほど後 2013年1月26日午前11時37分 ソナの店

何でも屋のソナの店のシャッターは完全にしまっている。タブラのレッスンが終わってから典久とかっちゃんと合流し、そのままソナの店までやってきたけれど、開いてないんじゃあどうにもできない。休みではないはずだからソナを待つしかない。

ソナ。ベンガリートラのゴドリヤ寄りの辺りに店を構えているインド人。日本人の奥さんがいて日本語はぺらぺら貸本から土産物各種手配暇なときの話し相手まで看板に書いてある通りの何でも屋で、日本人旅行者からの信頼も篤い。まあどうせソナはのんびりやってくるんだろうということで3人でしばらく待っていたけれど、一向に店主はあらわれない。
「宿で久美子さんにも聞いてみらん?車用意できるか」
典久が時計を見ながら言う。ぼんやりしていても始まらないということで、典久たちはクミコハウスに戻り久美子さんに車の値段を聞く、誰かがここに残って待っているほうがいいので僕はこのままソナの出勤を待つ、ということになった。

僕はシャッターに寄りかかっていた。時刻はすでに12時に近い。サリーを着たおばあさんが裸足で歩いていく。石畳の上には結構な確率で牛のふんが落ちているし、僕も2日前に踏んだばかりだったのだけれどおばあさんは気にする様子もない。僕は踏まれないように足を引っ込めた。鼻先を一頭のホルスタインが通ったので。

「ナマステ。なんか用?」
声をかけられて振り向く。ソナがあらわれた。
「ナマステ」
僕は胸の前で手を合わせ返事をして早速本題に入る。
「アラハバードまで車を1日チャーターしたら往復で1台いくらぐらい?」




その30分ほど後 2013年1月26日午後0時28分 クミコハウス旧館

僕は2階に上がり部屋に戻る。部屋には典久一人だった。
「かっちゃんは?」
「今新館のサントスに車の値段を聞きに行っとうよ」
典久が木のドアをあけベランダに出る。
「俺も聞いて来たよ、値段」
2人で並んでベランダの金網ごしにガンガーを見下ろす。巡礼をのせたボートが下ってゆく。僕はタバコに火をつけ煙を深く吸い込む。
「ソナが言うには、4人乗りで日帰りなら3500ルピー、向こうで1泊したら4500ルピー。6人乗り1泊で6500ルピー。らしい。まあバスとか電車よりは全然高い」
「全然いいよ。足が手に入るっちゃけん」
階段を上がってくる足音がする。かっちゃんが戻って来た。
「どうやった?」
「車1台ドライバー込みで、3500ルピーて言うてましたね、1泊で。それは4人乗りの値段で、6人乗りなら5500だそうです。」
「ソナより安いね。まあどっちにしろ6人乗りの金額をえださんたちに伝えて了承を得てかららやね。返事は」
「それがですね、車をおさえてるから早く返事をくれって言うんです」
「どのくらい待ってくれるって?」
「30分ぐらいで返事がほしいらしいですね。まだ一緒に行く友達と会えてないからって言って、待っとってもらってるんですよ」

クミコハウスに帰って来て部屋に上がる前に、僕は1階のえださんたちの部屋をのぞきに行ったけれど、ドアには外から南京錠がかかったままだった。彼らはまだ帰って来ていないようだ。出発は早いほうがいい。遅れれば、向こうに着くのが日没後になってしまう。夜に寝る場所を探してふらふらとあてどなくさまようのはできれば避けたい。
「探しに行かん?」
どうせそんなに遠くへは行ってないはずだ。典久が返事をする。
「おお、いいよ、行こう」
部屋を出て階段を下りるとフロントに久美子さんがいたので頭を下げる。
「すいません。まだ友達と会えてないんで決定が出来ないんです」
「ああ、友達って昨日入って来た子たち?さっきまではいたのにね」
「どこに行くとか言ってました?ちょっと探しに行こうと思って」
「ごはん食べるって言って出て行ったよね。スパイシー・バイツに行くとか言ってたかな」
「ありがとうございます。じゃあ行ってみます」
僕と典久とかっちゃんは通りへ出る。

僕はいつもこの曲がりくねった路地を行ったり来たりしている気がする。今日この店の前を通るのは何度目だろう。スパイシー・バイツはローカルの店よりは高めのインド料理から日本料理韓国料理など雑多なメニューを揃えるベンガリートラにある観光客向けのレストランだ。のぞいてみると中には韓国人観光客ばかり。
「おらんですね」
「見当たらんね」
奥に日本人らしき一団がいるが、えださんたちの姿はない。
「あ」
僕は見覚えのある顔をその中に見つけた。えださんと初めて会ったコルカタのチャイ屋でえださんの隣に座っていたニット帽に長髪の名前はなんて言ったっけ。彼とは話したことがある。えださんの友達だ。
「ちょっと待っとって」
僕は店内に入りその日本人旅行者の肩を叩く。
「こんにちは。どうもお久しぶりです。えださん見かけませんでした?」
「ああ、どうも。えだ?いや今日は見てないよ。」
「そうですか。じゃあもし会ったら松本暁が探してたよって伝えてもらってもいいですか?」
「オーケー、言っとくよ」
「ありがとうございます」
スパイシー・バイツから引き返ししばらく歩くと路地の切れ間から強い光が差す。ガンガーだ。ガートの階段を下り川沿いを左に曲がる。メインガートへ歩く道すがら彼ら3人を探そう。




その1時間ほど後 2013年1月26日午後1時45分 マニカルニカガート

宝石の首飾りのガート、という名前を持つバラナシ最大の火葬場として知られる場所。死者は色鮮やかで光沢のある布に包まれ、太鼓で賑やかされつつ行列でガートへ運ばれ敷かれた薪の上に横たえられる。そこで死者は太陽の下ガンガーに煙をくべるように焼かれ灰はガンガーへとまかれる。火葬場と言っても大きな建物があるわけではなく、すべては川岸で衆人環視の中だ。望むのなら火の傍らで死体が灰になるまでの一部始終を眺めていることだってできるけれど今は時間がない。焼き場を見下ろすように階段に店を構えるチャイ屋のわきに立ち辺りを見渡す。3人はいない。時間的にもここまでだ。宿に戻ろう。




その1時間半ほど後 2013年1月26日午後3時13分 クミコハウス旧館

3手に分かれて探し歩いたものの結局えださんたちを見つけられなかった僕らは、もうこうなったらあせっても仕方がないと部屋のベッドに輪になって座りお菓子を広げてくつろいでいた。久美子さんのほうには返事はもうちょっと待ってくれと伝えてある。クッキーをかじっていたらドアがノックされたので開いてみるとえださんが立っていた。
「ああ、いた。よかった。暁さんたちが探してるよって友達に言われて戻って来たんです」
スパイシー・バイツでの伝言が役に立ったのだ。僕は車の値段を伝える。頭数で割れば一人当たり900ルピー程度。あっちゃんとりょーたくんも金額に同意してくれた。僕らはサントスに車を雇うと返事をする。出発は午後4時。

例によってドライバーは4時になってもあらわれず遅れること1時間余り、5時過ぎになってようやく僕らはアラハバードへと旅立った。12年に1度開催されるインド最大規模の祭り、マハ・クンブメーラーを見に行くために。



2013/01/26
バラナシ インド
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by matsumotoakatsuki | 2013-03-04 22:56 | インドに詩の朗読をしに行く
そして世界は美しいね
   



iPhoneの目覚ましが鳴った。


6時半か。

まだあとちょっと寝れる。
僕は毛布を引っ張り上げ、再び布団にもぐり込んだ。


リリリン
今度は電話の呼び出し音が鳴り出す。
枕の隣で朝から忙しく働くiPhoneをつかみ、一呼吸置いて通話に出た。

「もしもし」
「あ、暁。寝とったと?昨日は遅かったやろ。今日は仕事ね。」
父からだった。なにげなく画面を見ると時間はすでに8時41分。
「あー!こんな時間だ!」
やばい、寝過ごした。今日からまた仕事だったのに!
集合時間の7時半をすでに1時間以上過ぎてる。
「ああ、これから準備ね。じゃあまた夜かけるね。」
ごめんまた夜にと早口で父に謝り電話を切り、
すぐに発信履歴から親方に電話をかける。
親方は出ない。
しばらく後に親方からメールが入った。

件名 ナマステ!
お疲れさまです!

ちょっとバタバタしてるので
夕方また連絡ください!

すいませんんんと頭を下げる。
親方は察してくれていたのだろう。
2週間のインド旅行から昨日の深夜帰って来た僕が、
今朝からすぐに植木屋の仕事に復帰出来るはずないと。
だから遅刻している僕に夕方またということにして、
今日は休ませてくれたのだ。

申し訳ない。でも、
1日ゆっくり寝れるのはうれしい。
僕は布団に顔から沈み込んだ。

荷物の片付けがある、
洗濯物が溜まっている、でも今はもう少し寝ていよう。


2013年3月3日、僕が乗った中国東方航空MU271便は、
搭乗ゲートをあちらこちらへと変更したあげく、
17時の出発時刻を1時間以上も遅れて上海浦東国際空港を離陸し、
深夜12時ごろ成田国際空港に着陸した。
日暮里スカイライナーとやらはとっくに運行が終わっている時間で、
普通のJR線も上野方面はこれが最終ですとアナウンスが聞こえ、
ホームへ小走りしドアの前で速度を緩め、という感じでどたばたと日本に帰って来た。

それにしても日本の空港の最後の荷物検査の時の係官の、
心理戦を仕掛けてくるようなあの話し方とか目つきは好きになれない。
特に身体検査への持って行き方とか。
何の所持を疑っているんだと聞きたくなる、というのは余談で。

MacBook Proの前に座りブログを更新していると、
帰って来たんだなあと実感するけれど、実際はまだ半分夢心地だ。

色々あったけど3つの目的は一応全部達成した。
マハ・クンブメーラーには行ったし、指輪はガンジスに投げ入れた。
しかも朝日のサンガムに投げ入れてやった。
ライブもやった。お客さんは満員と言っていいほど来てくれた。
目的は全部やり遂げた、と言える。

旅行中ずっと、
なんかインドにいるのに日本と同じようなことやってるなあ、
という気持ちだった。

詩の朗読をするためにあくせくと動き回って、
折に触れてはノートを開き詩の訪れに耳を澄まし。

知らない人と出会い、友達になり、
お別れをする。

同じだなあ、と思う。
人はどこでも懸命に生きていて、
日常にちょっぴり退屈している。


生きるっていつでもどこだって大変で
それでも人は生きてるね
そして世界は美しいね


6年前にそんな詩を書いたけれど、
その気持ちは今でも変わらない。
そのことを確認したくもあったのだろう。

旅行中は毎日が誕生日ぐらい楽しくて幸せだ。
そんな生活をしていれば世界を愛さないはずがない。

さて、僕は今回の旅の本当の終点、
日本の東京江古田についにたどり着いた。
そこにも世界が視界の360度ぐるっと存在している。

特別な思い出が増えれば増えるほど、
日常はより愛おしくなる。
毎日の無駄遣いをなるべく減らそうと意気込む。

帰って来たときはそう思っていたけど、
しばらくたてばすぐに以前と同じに戻る、っていうんじゃ、
今までと同じだ。

だから大事なのはこれから。




さて今日はなにをして過ごそうかな。



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2013/02/03-04
東京 日本
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by matsumotoakatsuki | 2013-02-15 22:51 | インドに詩の朗読をしに行く
僕ら3人はコルカタから夜行列車でバラナシへと向かった。

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2013/01/22-23
コルカタ − バラナシ インド
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by matsumotoakatsuki | 2013-02-13 01:15 | インドに詩の朗読をしに行く
関西弁風の中国語を喋るタクシーの運ちゃんとリチャード・ン氏と小柄なおじさん
     




んん
ああ、まだ5時半か。

まだぜんぜん暗い。

江古田の古着屋で1900円で買ったコールマンのショルダーバッグのポケットのチャックを開き、すきまに腕時計を押し込む。まだ寝ていてもいい時間だ。ジッパーを開き毛布みたいに広げた寝袋を頭からかぶり、枕代わりにはショルダーバッグ。腰をねじって足を伸ばし、くるまっているショールの位置を修正する。うん、寒くないし、体勢も楽。ソファーの上だから布団みたいにはやわらかくないけど、快適な部類の寝心地と言える。半野宿にしては上出来だ。

ハンプ・ホステルのテラスレストランのガラスの入っていない開放的な窓、というか壁は腰ぐらいまでしかなくて後は角の柱と屋根がある程度の、普段ならゆったりしたくつろぎスペース夜は半分屋外という場所の、ソファーセットが2列にならんだうち壁側の列の真ん中のソファーの肘掛けと肘掛けのあいだに、僕は若干身を縮め気味で横になっている。

インドコルカタ行きで買った航空券は中国東方航空46,165円の格安チケットで、僕は2013年の1月18日14時30分に羽田空港を発ち同じく2013年の1月18日予定では中国時間16時30分、実際には30分遅れた17時過ぎに上海虹橋空港に着いた。それから、往路2回目のフライトMU581便が2時間後の19時05分これはチケットに書いてある当初の時刻で、実際はさらに2時間以上遅れた21時30分に同じく上海虹橋空港を出発した。それで1月18日夜12時過ぎ、言い換えれば1月19日未明今からだいたい5時間前にMU581便が着陸したのが、西はチベットへ手をのばし南にラオスと国境を接する中華人民共和国雲南省の省都、年間を通じて温暖な気候から「花都」とも呼ばれる中国南部の大都市、ここ昆明だ。

あれ、僕が買ったチケットはインド行きだったんじゃなかったっけと不安になってしまうほどの乗り換えの悪さで、僕はコルカタに向かっていて、往路3回目のフライト、インドコルカタ行きの飛行機は2013年1月19日23時55分に昆明長水空港国際線をやっと離陸することになっている。今が1月19日の朝の5時半だから、だいたいあと14時間後だ。取りあえずまだ眠っていられる。フロントが起きて普通にホステルが機能し始めたら僕も起きればいい。朝になったら空いたベッドはないかフロントに確かめよう。僕は体を縮こまらせて、寝袋とショールがじんわり保ってくれる温度をぎゅっと胸に集める。

客室のベッドではなく半屋外のテラスのこのソファは、真夜中にタクシーの運転手さんをあっちじゃないこっちじゃないとひっぱり回し、喧嘩のようなやりとりを散々かわした末にやっと見つけた寝床で。

ガイドブックのたぐいを特に見もせず、ろくにネットで調べもせずに昆明は比較的安全な街だから大丈夫だろうと高をくくって、紙に2、3メモして持って来たぐらいの情報的に僕はかなりの軽装でやって来たものだから、深夜1時ごろ街外れで空港と市街地を結ぶシャトルバスから降りて、バス停に客待ちしているタクシーに乗るというような緊張感でぐっと体に力を入れざるを得ない状況になってしまった。


自分が昆明のどの辺りにいるのか分からないままバスのステップを降り脇に顔を向けると、街灯に浮かび上がる2台のタクシーの無言の影。タクシーと言ってもちょっと古めの自家用車にタクシー会社の表示灯をくっつけましたというだけのしろもの。もしこれが悪徳タクシーだったらどこに連れて行かれるか分からない。最悪犯罪に巻き込まれることもあるだろう。外国にはそんな話は実際いくつもある。とは言え中心部までどれぐらい離れているかも分からないのだし、仮に歩いて市街地にたどり着けたとしても地図もないからそこがどこだかが分からない。もちろん宿の予約なんかしていない。しかも時刻は真夜中もいいとこだ。


1 関西弁風の中国語を喋るタクシーの運ちゃん
白と水色のタクシーの運転席の窓に、住所をメモした紙を見せながら声をかける。
「ウォー・シャン・チュイ・カメリアホテル。ドーシャオ・チェン?(カメリアホテルに行きたいのだけどいくら?)」
顔を出したのは、白髪まじりの短髪、目力ちょっと前のめり気味の、なんか大阪の岸和田あたりにいそうな人相風体の運転手さん。運ちゃんが一瞬間を置いて、斜め下につばを吐くように答えた。
「ウーシュー・クワイ(20元)」
タクシーの相場を知らないから自分がぼられているかどうかが分からない。まあ高くはない金額だと思い、助手席に乗り込む。僕はメモの住所を見せながら「ウーシュー・クワイ(20元ね)」と改めて確認する。間髪入れず運転手さんは、
「俺は嘘はつけへんがな。メーターもここにあるがな」
という意味合いだと思われることをでかい声で言った。運ちゃんはリアクションが早い。そして大きい。そんなところがなんか関西ぽい。イメージだけど。

最初に行ってもらったカメリア・ホテルが、つぶれたのか改築中かなにかで取り壊されていたのは、運が悪かった。そこに立てられていた大きな看板を指差して運ちゃんがなんか地団駄を踏むような感じで僕にツッコんで来た。
「なんでちゃんと調べておかへんのや、前もって!」(推定)

深夜の移動、なおかつ国境越えは旅行者としての最重要注意ポイントの一つなわけで、しかも今夜は16泊17日の今回のインド旅行の大事な第一泊目なのだから、ちょっと割高でも空港まで迎えに来てくれるホテルを予約しておくぐらいのことは、当然やってもよかったはずだった。面倒くさがらずに。まあどうにかなるでしょと開き直っていた末のこの結果は正しかったのか、間違っていたのか。

看板の周辺地図の左下にあるEast Young Hotelとかなんとか書いている黒丸を指差して、代わりにここに行けって書いてあるけど、それでええんか?というようなことを運ちゃんは言った。East Young Hotelとかがどんなところかは分からないが、一番近くだし、もう一つの黒丸は名前からして高級そうだから遠慮したい。安く泊まれるなら別にどこでもいい。僕と運ちゃんはタクシーに乗り込んで次の目的地へ出発した。

隣の運ちゃんが指を三本立ててこっちに突き出す。「最初は20元ゆうたけども、目的地が変わったからこれで30元やで、にーちゃん」ということを言っているんだろう。
「分かってる、分かってる、もちろんそれでいいよ」
と僕は日本語で返事をした。中国語で会話ができるはずもない。運ちゃんは英語も一切通じないから僕はもう同じだと思い日本語で喋っていた。


2 リチャード・ン氏
タクシーは街灯もまばらな道を2、3回ぐらい曲がってから意外とすぐに停まった。僕はタクシーを降りて、路地裏のビルの一回に張られtraveler's homeと書かれている看板の下にあるすでに閉じられた扉をノックした。呼び鈴が扉の右上にあったので押してみたけど中からはしばらくなんの返事なく、扉も開かない。ほかの入り口はないかビルの周囲を探してみようと歩き出した時、運ちゃんが「おい、こっちこっち」と僕を呼び戻す。扉が開いた。その中からガウン姿で出て来たのは、1983年公開の香港映画「五福星」のチンケ役の個性派俳優(自分を透明人間だと思い込む場面を全裸で演じたあのちょびひげの)リチャード・ンをこわもてにした感じのおじさん。なんか機嫌が悪そうだ。夜中に眠ってるところを起こされたから?

僕 「イーガレン、ファン、ドーシャオ?(一人一部屋いくら?)」
宿のおじさん(以下リチャード・ン氏) 「イーパイ・ウーシュー(150元だよ)」
僕 「イーパイ・ウーシュー!?」
ちょっと高い。チェックアウトは朝10時とか11時だろうから午前中だけのわずか数時間の滞在になるかもしれないこの宿にそんなお金はかけたくない。日本円にして3000円弱ではあるけど、宿の外見からも妥当な金額に思えず、低空飛行で乗り切る分しか持ち合わせがない自分の低予算外であり、でもそれらもろもろを中国語で何て言うかは分からない。とりあえず、首を振って話を続ける。
僕 「高い、高いよ、イーパイ・クワイ・チェン(100元にしてよ)」
リチャード・ン氏 「イーパイ?ハッ、イーパイウーシュー(100元?はっ、150元だよ)」
僕 「うーん、イーパー・ウーシューかあ。Do you have a dormitory here?If you have,it will be cheaper,yes?I prefer that.(ドミトリーはないの?もしあるなら、もっと安いだろうしそっちがいいのだけど)」
英語で喋りはじめた僕にうるさそうに手を振りながらリチャード・ン氏はなにかを中国語で言い返して来る。その間ニコリともしない。薄暗い廊下の奥から別の中国人が顔を出す。

「なあ、部屋はないねんか?」
いつのまにか隣にいた運ちゃんが助け舟を出してくれた。以下はわずかに聞き取れた単語から推定の日本語訳。
 
リチャード・ン氏 「あるよ、150元だって言ったら高いとかいってるんだよ、こいつが。それでなんかベラベラ言って来るんだ」
タクシーの運ちゃん 「こいつは旅行者で日本から来て着いたばっかりやねん。金も大して持ってなさそうやし、まけられへんの?」
日本人を意味する「ジューベン」という単語を耳にしたリチャード・ン氏の表情がより険しくなる
リチャード・ン氏 「なに、こいつ日本人か?じゃあ泊める気はない。部屋はないよ(ファン・メイヨウ)」
聞きつけて僕が食い下がる。
僕 「ファン・メイヨウ?あるって言ったじゃん!You said you have it!」
もう中国語も英語も日本語もめちゃくちゃだ。

「メイヨウ、メイヨウ(ないったら、ないよ)」
リチャード・ン氏は背を向けすたすた奥に歩き出した。寝室の自分のベッドまで一直線で向かう勢いの足取りで。こうなったらもう無理だろう。タクシーに戻る。運ちゃんも乗り込む。運ちゃんが「これからどこに行くねん?」とフロントガラスを見ながらたずねて来る。

The Hump Hostel
西山区书林街63号

僕はメモををポケットから取り出し、運ちゃんに見せた。
カメリア・ホテルとハンプホ・ステルという2つの宿の名前と住所、それが僕が調べて来た情報のすべてだった。カメリア・ホテルははすでに取り壊されていて、残る候補は1つ。中国では外国人は外国人向けの宿泊施設にしか泊まれない決まりになっているから、その辺の普通の宿に行ってもフロントで断られる。だから運ちゃんにどこでもいいから近くのホテルにつれって行ってとお願いするわけにはいかないし、運ちゃんは外国人向けの宿いわゆる渉外飯店を知っていそうにない。ここがだめなら野宿になる可能性もある。
「ハンプ・ホステル、ここ、ここに行って下さい」
運ちゃんは僕の手からメモをとり眺めた。
「こっちとは全然逆のほうやないか!」
「ここに行きたい!」
「今度は戻るんかい?」
「ハンプ・ホステル」
「まいるでこりゃ。元来たほうに戻るんやから。ここからちょっとあるで、30元じゃ行けへんからな。50元やからな」
運ちゃんはタクシーのエンジンをかけた。大通りを進んだり、空き地みたいなところ横切ったり、しばらくしてから広場のような場所でタクシーは停まった。周囲には営業中の店や屋台が並び、広場を明るく照らし出している。運ちゃんは建物の切れ間を指差して「あそこや」と言った。「このメモの住所はここやで」


3 小柄なおじさん
運ちゃんはいろいろあったが特に法外な料金を要求してくる訳でもなく客が望んだ場所に客を送り届けるというプロの仕事をしっかりと果たしてくれた(僕のバジェットが小さいのは彼の責任ではない)。
「謝々(シエシエ)」
僕はタクシーを降りて運ちゃん側にまわり込み、窓から手を入れてお金を支払った。運ちゃんは無言でなにかの身振りをした。

タクシーに背を向け広場を小走りで横切る。肩にかけたショルダーバッグは小さめのもので、空港から一度も下ろしていなかった。ぶら下げた寝袋が太ももではずむ。「The Hump Hostel 10メートル先を曲がる」という看板が見えた。オレンジ色の灯りで照らされた半開きの扉から中に入り、階段を3階に上がる。着いた。ハンプ・ホステル。

階段を上りきるとすぐに、左手には広いルーフトップ、開放的なテラス、右手にあるドアから入れば木目を生かしたちょっとアーリーアメリカンなラウンジに中央にはビリヤード台、その向こうがバーカウンター。フロントは左手の一番奥。ただ時間が時間だけに灯りはフロントのライトが一つあるきりで真っ暗。しかもそこには誰もいない。「ニーハオ、ハロー」とか声をかけてみるけど、時計を見たら2時半こんな時間に大声を出すわけにもいかない。無人のフロントの前でもじもじしていたら、向かいの壁にあるドアが開き、中から野球帽をかぶってよれよれのシャツを着た小柄なおじさんが出て来た。

「ニーハオ。 Would you have a vacant bed? in your dormitory(ドミトリーにベッドの空きはありますか?)」
僕は小柄なおじさんに話しかけた。小柄なおじさんは自信なさそうに気まずげに笑っている。僕はもう一度たずねる。
「I 'd liked to stay here.so would you have any vacant bed or room for me?(ここに泊まりたいんですけど空いている部屋かベッドはありますか?)」
小柄で野球帽をかぶったちょっと浅黒いおじさんは、泣き出すように笑い、首を振った。通じてないようだ。おじさんの右手がカウンターの上に開かれたノートを指差している。

そこには

1)あなたは部屋を探しているのですか

と英語と中国語で書いてあった。
そうです、探しています。「イエス」僕が返事をすると、小柄なおじさんが次の質問を指差した。

2)あなたは予約をしていますか

していません。予約はしていない。「ノー」
小柄なおじさんは問い2への僕の答えを聞くと、申し訳なさそうな顔で言った。
「メイヨウ (ありません)」

「えー、メイヨウ?」
「メイヨウ (ないんです)」
小柄なおじさんは繰り返し、手元の紙を指差す。そこには日付と旅行者らしき名前がずらりと並んでいる。予約者のリストなのだろう。小柄なおじさんはもう一度ノートの問い2を指差す。

2)あなたは予約をしていますか

僕は答える。「ノー」
小柄なおじさんは気まずそうに伏し目がちでほほえむ。
「メイヨウ (空きはありません)」

ベッドはたくさんあるはずなのに本当に空いてないのかとか、いろいろと質問をして糸口を探ってみたけど、英語なのでどうしても小柄なおじさんには通じない。なんか外国人が焦った顔でつめよってくる、という印象を与えただけだったに違いない。「なんであんたこんな夜中に予約もしないでやって来るの?」と言いたかったことだろう。ベッドの1つぐらい空いていると思っていたんだもの。

OK、謝々。と軽く頭を下げて、僕はドアからラウンジの外へ出た。空いてないものは仕方がない。テラスのフロアーに並んでいるソファーの一つに腰を下ろす。ここなら外みたいなもんだし小柄なおじさんの仕事の邪魔にもならないだろう。荷物の整理でもやってる振りをして出来るだけここに座っていよう。何か言われたら出ればいい。バッグの留め具を外し、荷物を体から下ろす。壁に寄りかかって一息つく。もしここが無理だったら、夜明けまで広場に座っていてもいい。なんならどこにも泊まらなくてもいい。最悪飛行機にさえ乗れれば。

ガチャンという音で顔を上げた。フロントから出て来た小柄なおじさんが、階段の前のドアを閉めた音だった。小柄なおじさんはドアに内側から鍵をかけ、通路を横切りフロントに戻った。僕が中のテラスにいる状態で玄関を閉めたということだから、いてもいいよということなのか。僕は小柄なおじさんの粋なはからいのおかげでこのソファーを寝床にすることが出来るようになった。という訳で。


横になったまま体をよじって手を伸ばし、
枕代わりのショルダーバッグから腕時計を取り出して時間を見る。
6時22分。

まだ空は真っ暗だ。1泊目は半野宿か。
なにをやっているんだろうなあ自分は、と思う。
Mなのか能天気なのか、いい加減なだけなのか、
自業自得ではあるのだけど、でもこの感じがたまらなく楽しい。

雨風の心配がなくてさらにあたたかい寝床があればラッキーだ。
ここなら安心して朝を待てる。

明日は何をして過ごそう。部屋代は2日分払っても100元以下だろうからドミのベッドに空きが出たら夜までここにチェックインしよう。そうすれば荷物も置いておけるしいつでも休憩が取れるから、時間をつぶして街をウロウロしなくてすむ。昼寝もちょっとしたい。あとは街を歩いてどこかでなにか麺系の中華を食べたいな。もちろん中国のビールも飲む。長い長い歴史を持つ広い広いこの国に今自分がいるのかと思うとそれだけでうれしくなって来る。短い滞在を楽しむためには移動の疲れはやわらげておくほうがいい。僕は目を閉じて、体を緩めた。



2013/01/18-19
昆明 中国
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by matsumotoakatsuki | 2013-02-11 23:08 | インドに詩の朗読をしに行く
私たちはあと二日後にこの町を出る
私たちはあと二日後にこの町を出る




みんなでたき火を囲んでいるようだった。大平原にあぐらをかいて座り、持ち寄った異国の酒を飲みかわしては、互いのふるさとの話を肴に笑い合う。2013年1月28日の夜、インドはバラナシ、ガンジス川のほとりに建つ、かの有名な日本人宿クミコハウス旧館の屋上はそんな感じだった。

たくさん韓国人台湾人二人中国人の女子大生二人日本人僕含めて三人ドイツ人一人(そいつの名はルーカス・カルテンバッハ)。5つの国から来た旅行者が輪になって座っていた。ろうそくを並べた真ん中にはインドのウイスキーやバランタイン・ファイネスト、コーラ、スプライト、ミネラルウォーター。インドのウイスキーは韓国人のジュオンたちが買って来たもので、この人数で割りながら飲んでも余りそうなほど本数があった。インドのクッキーが3人に一袋ぐらいの間隔で置いてある。クッキーは何種類も用意されていて、味はどれも結構あなどれない。でも甘いものだけかあと思い僕はインドのポテトチップス、レイズの塩味が恋しくなっていた。僕の両側にはしょう君とケイタ君。バランタインはその日の午後に町を出た幼なじみの典久とその後輩かっちゃんの二人が置いていったやつだ。

この日の屋上パーティーはジュオンが言い出したもので、彼や彼の友人の韓国人の子たちが同じ安宿に数日袖触れ合った思い出にと、他の宿泊客に声をかけ、日本組は韓国語がちょっと話せるケイタ君を通じて誘われた。ケイタ君と仲良しのジュオンは日本語がちょっと喋れて、最初に会った時「ジュオン、ジュオンね、ホラー映画」と自己紹介してくるような気のいいやつで。ケイタ君は、すでに3週間ぐらいバラナシにというかクミコハウスのドミトリーにいて、ゆるく旅行を楽しんでいる20歳ぐらいの日本人の男の子。僕の左側に座っているしょう君は3ヶ月バラナシで過ごしそれからリシュケシュにマッサージの資格を取るために行くという予定で、リシュケシュにはやっぱり3ヶ月いるという、長いがメリハリを利かせた旅程を組んでいた。二人の力を抜いてまっすぐに沈没しているたたずまいが僕はとても好きだった。

中国の女子大生は1人が上海から来たシンシア。彼女は上海がもつ上品さそのままの流暢な英語を話した。もう一人がちょっとヒッピーじゃないけどボヘミアンを感じさせるエキゾチックなファッションとエキゾチックな顔立ちのダーヘイ。湖南省出身。

パーティーの公用語はもちろん英語だ。韓国人の子らはほとんど大学生で、まだ高校生で帰ってから卒業するなんて子もいた。小太りで黒縁眼鏡の韓国人の男の子が、自分の名前を漢字でかくと中国語でどんな発音になるか知ってるよと、中国人の二人に話しかける。
「僕の名前は中国風に発音するとこうなるんだよ。シン・ジタイ」
「シン・ジタイ?」
「そう!シン・ジタイ!でしょ?だって漢字で書くとこう書いて…」
と空中に指で漢字を書いてみせる。
ダーヘイがなんだかニヤニヤしている。
「いやいや、なんで笑ってるの?」
つっこみどころを見つけたシン・ジタイ君が食いつくと、彼女はこらえきれずに声を上げて爆笑した。
「あははは!だって君の名前はシンなんでしょ、シンは中国ではセックスっていう意味なんだよ。あはは、笑える!」

それからはずっと、修学旅行の寝る前の好きな人言い合いタイムぐらいのフレッシュな、でも使う言葉が英語のため極めてシンプルな下ネタで盛り上がった。
韓国の大学生たちがアイ・ワント・トウ・シン!と大声を上げて繰り返していたあたりがマックスだっただろう。だれかがシンシンシンシンと早口で言ったので僕がまんこまんこまんことアンサーしたぐらいが日本側から提供されたわずかな下ネタだったけれど、日本人3人ともその場を多いに楽しんでいた。

僕はプラスチックのコップに典久たちの置き土産のバランタインをつぎ足した。
典久は僕の小学校一年生からの幼なじみで、今回同じ1月18日に日本をそれぞれ東京と福岡から発ちインドのコルカタで合流してここバラナシまで一晩汽車に乗ってやって来た。典久と一緒に福岡からやってきたのが隣の地区の中学校の一っこ下だったかっちゃん。二人は昼の3時ぐらいだったか夕方にならないまだ明るい時間にゴドリヤの交差点からオートリキシャに乗って空港を目指しバラナシを出てしまった。彼らはバラナシからアーグラーまで飛び、そこで電車に乗り換えジャイプールへと向かう。僕は1月31日に詩の朗読ライブをやるからバラナシに2月2日まで残り、その日の夜7時40分の飛行機でデリーへと飛びそのまま午前3時30分発上海経由の便で東京に帰る。

今回の2週間のインド旅行で、僕はやりたいことが3つある。

1 アラハバードという町で12年に1度開催されるマハ・クンブメーラーというお祭りを見る
2 もうつけることがなくなった結婚指輪をガンジス川に投げ入れる
3 ヒンズー教の聖地バラナシで詩の朗読のライブをする

毎日情報集めと挨拶回りで動き回っている感じだ。意外と忙しい。バラナシにいるのになんで。

「あれ、いつのまにかルーカスがいない」
ケイタ君が言うので僕は改めて北から南に一座の顔ぶれを見渡した。
「ほんとだ」
「あいつ、いっつもいつの間にかいなくなりません?ほんとあいつおもしろいっすよね」
ルーカスは不思議なやつだった。気づいたら輪の中にいて、特に何か喋るわけでもなく、いなくなったと思ったら自分の寝袋のうえにうつぶせで寝ている。外出どころか3階のドミトリーからさえ出ている様子がない。このパーティーでもルーカスはほとんど何も話さなかった。かといって退屈しているわけではないみたいで、静かに考え事をしているようにも見えるし、ただぼーっとしてるだけにも見える、つかみどころがないが何故か構いたくなってしまうやつだった。

「私たちはあと二日後にこの町を出るの」
バラナシにはいつまでいるのかというジュオンの質問に、ダーヘイが答えた。
「え、ほんとに?同じ日だね。俺らもその日に出るよ。」
とジュオンが肩と肩がくっつきそうな距離に近づく。まだしばらく滞在するつもりの韓国人大学生チームは「オー、ノー!」と寂しがった。
すっかりその場の主役におさまっているシンシアとダーヘイを眺めながらケイタ君が言った。
「やべえ、中国人かわいい」
「めっちゃかわいいね」
「中国人ていうだけでなんかかわいい。」
「カワイイデスカ?」
「え!喋れんの?」
それまで一言も日本語が分かる素振りを見せなかった上海娘のシンシアが、こちらに日本語で返して来たのだ。
「チュウゴクジン、カワイイデスカ?」
「すげえ、分かるんだ。俺変なこと言わなかったですよね。」
「大丈夫、ずっとほめてた」
シンシアはまるごと育ちのいい才色兼備なお嬢さんという感じで、韓国語も少し話せるようだった。聡明そうなシンシアならさらにもう一カ国語ぐらい喋れたとしてもまったく不思議はない。ケイタ君が彼女にたずねる。
「ねえねえ、かわいいのチャイニーズは?ワット・ドゥー・ユー・セイ・カワイイ・イン・チャイニーズ」
「クーアイ」
「え、クーアイ?」
「ノー、クーアイ」
「じゃあじゃあ、ユー・アー・カワイイは?」
「ニー・クーアイ」
「ニー・クーアイ」
「ニー・クーアイ」
「ニー・クーアイ。へー、そう言うんだ。ニー・クーアイ」
ケイタ君が何度も繰り返し発音するのを聞き、シンシアは照れながら「カワイイ」とつぶやいた。

1月末のバラナシの夜はまだ少し冷えて、だれもがショールや上着を持って来ていた。クミコハウス旧館の屋上は見事なガンガー(ヒンディー語でガンジス川)・ビューで、その夜も大河は、街灯の光に照らされた霧をシルクのスカーフみたいに漂わせ、ゆっくりゆっくりと流れていた。実際僕にはガンガーはいつ見ても止まっているように見えた。どっちからどっちに向かって流れているのか、いくら見ていても分からなかった。

「ダーヘイ、どうしたの、なんで泣いてるの?」
PSYのまねで一座の笑いをさらっていたシン・ジタイ君が、びっくりしたようにダーヘイにたずねた。ダーヘイはカラオケではR&Bでも熱唱してそうな元気な雰囲気の子で、お嬢さまタイプのシンシアと違いちょっとワイルドな感じも漂わせていたから、その彼女が背筋を伸ばして座りぽろぽろと涙を流しているのに一同目を丸くした。ダーヘイが答える。
「だって、幸せだから」
「ダーヘイ!」

彼女の言う通りだった。この場には韓国人と台湾人と中国人とドイツ人と日本人がいて、友達になって笑いながら酒を飲み、しかもここはインドのバラナシで、目の前にはガンガーが流れていて。そのうえ明日の朝起きても仕事にも学校にも行く必要がない。これが幸せでなければ一体幸せとはなんだろう。このパーティーに参加したみんながきっと、自分の国に帰ったあともこの夜のことを思い出すに違いない。

僕は想像した。千年前にもこんな酒宴が開かれたことがあるとしたら。場所はインドではなく、中国のどこかの都だったかもしれないし、シルクロードのオアシスに居合わせたキャラバンたちが分け合った晩餐だったかもしれない。昔話ならロマンチックな一夜の物語。けれどこの日の多国籍な飲み会はまぎれもない僕らの現実だった。ここにいる全員が年を取って死んだとしても、世界のどこかできっと何度もこんなパーティーが繰り返される。西と東も祖国と外国もすでに大昔からこうして出会い、つながりあって来たのだろう。

僕は忘れないように、今回の旅行のことを書きとめようと思う。前もって思い出話を記録しておけば、またどこかで彼らと再会したとき、すぐに懐かしい話題で盛り上がれる。バラナシの夜空に星はたいして見えなかった。けれど誰一人残念に思っていなかっただろう。毎日がまばゆいばかりの輝きに包まれていて、しかもその光の源はそれぞれの内にあることを僕らは知っていたのだから。



2013/01/28
バラナシ インド
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by matsumotoakatsuki | 2013-02-07 23:01 | インドに詩の朗読をしに行く
a small information on Maha kunbh mela Allahabad 2013
a small information on Maha kunbh mela Allahabad 2013
from me
to foreign travelers heading to the festival.

Not 100% reliable.
These are just made from my experiences and words from people I met.
日本語は下に↓あります。

1.Scale of the festival
Actually I don' know.Just vast. Millions of people are there.Some said more than twenty million.The festival has many areas. If you want to see around whole areas you need a car.I saw night view of the festival from bridge and it was really beautiful.
You can get maps from websites.

2.The biggest day is coming at tenth February 2013.
It is most common information. Sadu I met there said similar things like "Big parade". He also said that he had a convoy and I could ride on it together with them in the parade to the river. Unfortunatly now I' m back to my work, so I can not make it.
In another information, it will be coming at 7th February.This is rare.In Varanasi I met a Japanese guy.He had spent some days in the festival with sadus in their tent and he took a bath with them at 27th Jan.It was also special date of the festival. Another suggestion was brought by him.He was a man with energy.
Communication with sadus in Einglish is not so easy.If that Japanese guy was a speaker of Hindi,this rare information can be important.In fact I am not sure about his language skills.
Anyway It is better to get there ahead of time,two or three days before tenth Feb for those who want to see sadu's bath.Spending several days with sadu can make a friendship between them if you never lose respect to holy monks. I heard two times that the day is 6th Feb from other guys.

3. Main area is sector 3.
Biggest bathing point. Sadu's bath is taken place here.They have wooden fences there between normal participants.If you succeed to make friendship with sadues, It will be easier to manage to see numerous numbers of bathing sadus behind fences. If you don't have any contact with them then seeing sadu's bath is also possible by using the way that you walk with sadus'parade heading to the river from its beginning point, pretending "I am a member of this parade!". Polices are there a lot.You must sneak. I don't recommend this way strongly because it is little bit rude in a sense.Bating time is in early morning.I think it is at sunrise.

4.Place to stay
Hotels and guesthouse in Allahabad are supporsed to be full.Book previously if you want stay at accommodation in the town.From the town you have to walk some kilometers to get the festival.
One man I met said that he stayed at local pilgrim's tent in the festival area.He did it in12years ago.Not this time.It was a big tent.He asked person in the tent then he and his wife were accepted.I think tent like this are there even today.But I don't know where it is.
Rainbow family has a tent.You can stay there.I heard it is in sector7 or 17 far from main area.Rainbow baba already died.So rainbow family are taking over.
Pilot baba maybe gives you a place to stay in his tent.It locates in sector 9.I heard but didn't try.Sector 9 is also far from main area.

5.You can stay at sadu's tent.
Yes,you can.But don't forget one fact. Sadues are really really respected like saints by Indian people.So you have to show respect to them.
To stay the tent, you can ask them to sleep there.Sometime they invites you as a guest from foreign country.I was the latter.There is a possibility that my luck came from my(actually "our".I went there with 5 guys) arrival time at the festival.It was already midnight.We were wandering around and then they called us from their tent. They informed police about our visit.They said they had to.We didn't have any troubles at their tent.They gave us tea,foods and blanket.They smoked hashish a lot by using their pipe called "chilum"
Donation is always matter with tourist.In my opinion,you have to pay in this case.I paid some donation to them because they offered us many things like I wrote above.It is not accommodation but their mercy for travelers.I saw many Indian people were refused to get in the tent.Discounting does not fit.Amount of money is your decision.
Before sleep they showed us their special skill from practices.It was beyond my imagination.
Panaan is better to say than namaste.Sadu I met said so.You can show maximum respect with saying Om Namo Narayan.
Hashish,cigaret,foreign coins,sadu I met liked these stuffs.I think if you bring them with you,it will help you to have friendly atmosphere in the tent.Off course the possession of hashish is illegal.

6.To get there.
Bus is most popular and cheap transportation to Allahabad from Varanasi.Bus starts from in front of Varanasi train station.About 3 hours to get there.By train is also selectable.
The road to Allahabad from Varanasi will be very busy especially before special day.Bus will stop far from the festival because of crowd and you will have to walk for some hours like 5 hours or so.To avoid this situation,train can be better way.
We rent a car and a driver from a guesthouse"Kumiko house" .The price is below.
4persons/1 day and a night : Rs 3500.
6persons/1 day and a night : Rs 5500.
If you want a single day trip, it will be cheaper.I talked with indian friend about the prices we paid for a car,she said it was good price.We drove to Allahabad at night so we were not barriered by traffic control.Less people on the road at nighttime.

Thanks for reading.Please confirm by yourself.

Have a nice trip
good luck.



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これからマハ・クンブメーラーを見にアラハバードへ行く旅行者のみなさんへ

ちょっとした情報を。
上記英文のほうがくわしく書いているので、そっちも読んでいただけるとより役に立つかと。
ただし、100%正確だという保証はありません。自分の経験と人に聞いた話です。


1.規模
めっちゃ広大です。とても全部は歩けません。車があれば可能です。人は2千万人ぐらい来ているという話もありました。本当のところは分かりません。橋から見た夜景がきれいでした。地図はネットで見つかります。

2.一番盛り上がるのは2/10
と、みんな言っています。お祭り的にも一番大事な日のはず。サドゥーのテントに泊まり仲良くなって一緒に沐浴したという一人の日本人が、2/7の朝に一番大きなサドゥーの沐浴があると言ってました。一般的には2/10の早朝だと言われています。2/6だという人が二人いました。それは伝聞のようでした。
何日か前に行って、あらかじめサドゥーと仲良くなって沐浴の日を迎えるのが出来れば一番よさそうです。

3.メインエリアはセクター3
ここが一番大きい沐浴場だと思います。サドゥーもここで沐浴します。サドゥーの沐浴場には柵があって普通の人は入れなくなっています。サドゥーと仲良くなって一緒に沐浴するか、沐浴に向かうサドゥーの大行列にまぎれて行くかの手があります。でも2つ目の方法はちょっと礼を失している気がします。

4.泊まるところ
アラハバードのホテルやゲストハウスはどこも一杯の可能性が高いです。先に予約しておかないと難しいと思います。町からお祭りまでは数キロあります。
昔行った時に巡礼者用のテントにお願いして泊めてもらったという人がいました。今もあるとは思いますがどこかは分かりません。
レインボーファミリーがセクター7か17にテントを張っているらしいです。もしかしたら別のセクターかも。前いたレインボーババは亡くなったそうです。
パイロットババというババのテントでも泊めてもらえると聞きました。試してないので分かりません。セクター9です。おっきいテントでした。

5.サドゥーのテントにも泊まれます。
お願いして泊めてもらうか、向こうから手招きされるケースもあります。自分は後者でした。深夜にあてもなさそうに歩いていたから入れてくれたのかも。
僕はドネーションはちゃんと払ったほうがいいと思っています。サドゥーたちはものすごくインド人から尊敬されています。見てると、インド人にとってサドゥーのテントに招かれるのはすごく幸運なことなようでした。実際大抵のインド人はテントに入ることが許可されませんでした。サドゥーたちはお茶や食べ物を出してくれて、毛布まで貸してくれました。だから感謝と尊敬の気持ちを喜捨で示すのは当然だと思っています。安宿で値段交渉するようなまねは似つかわしくないなあと。
好意で泊めてもらっているだけだから。
ドネーションを払うときは、1ルピー硬貨を一枚付けるのが作法だと前に会った人に言われました。
例えば100ルピーなら101ルピー払う、みたいな。僕は1ルピーが尽きたので2ルピーとかでも付けてました。
サドゥーたちへの挨拶は、「ナマステ」より「パナーン」がいいとサドゥーに言われました。もちろん手を合わせて。強い尊敬の挨拶は「オム・ナモ・ナラヤン」だそうです。一発目にこれを言えばだいぶ向こうもほぐれてくれそう。
僕が合ったサドゥーは、ハシシ、タバコ、外国のコインをほしがりました。もし持っていたらあげると喜ばれると思います。もちろんハシシの所持は違法です。でもサドゥーは例外のように振る舞っていました。

6.お祭りに行くには
バラナシ駅前からバスで3時間ぐらいです。電車もあります。混雑するのでバスや車は道の途中で止められる可能性があります。そこから5時間ぐらい歩かされた人もいたみたいです。電車ならそういうことはないのでよさそう。でもどちらにしろ駅から数キロは歩くと思います。
僕らは宿の人に話して車をチャーターして、祭りの中心部まで行きました。
4人乗りで1泊二日:3500ルピー
6人乗りで1泊二日:5500ルピー
もちろんドライバーさん付きです。日帰りにすればもっと安いです。僕らは夜に移動したので、道路の混雑はなかったです。

詳しくは自分で実際に確かめてください。


では、
気をつけてよい旅を!
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by matsumotoakatsuki | 2013-02-04 23:29 | インドに詩の朗読をしに行く

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