日曜日、連れのお姉ちゃんに野菜をもらった。彼女の畑でとれた白菜やねぎやいろいろ。連れと受け取りに行ったら、ふたりで持ちきれないぐらいで、ふたりでは食べきれないぐらいの量だ。
とってもありがたい。
うちによく遊びに来るこーちゃんとぴーちゃんは、毎回と言ってもいいぐらい野菜やらなんやらをおみやげに持って来てくれる。もらいすぎて申し訳なくなるぐらいもらってる。
いろんなものをいろんなひとからいただいてしまう僕らは、せめてお返しをしようとするのだけど、お返すスピードを追い抜いていただきものがこちらにやって来てしまい、時々僕は不安になってしまう。もらった分だけひとにあげられていない。
お姉ちゃんのところから野菜を持って帰る途中、スーパーでチューハイを買い、公園のベンチで飲んでいると、落ち葉の清掃をしているおじさんたちがいた。公園の4本のケヤキがそこらじゅうしきつめた落ち葉を、ほうきで集め、ゴミ袋につめこんでいる。
連れが落ち葉の山に手を突っ込みたくてうずうずしていたので、おじさんたちになにかお手伝いできることはありませんかと話しかけた。
「ありがとう、大変助かります、軍手と袋はほら、あっちにいっぱいあるから使っていいから。」
というわけで僕らふたりはおじさんたちにまじり、公園の落ち葉拾いに参加することになった。
ベンチに座って見ているだけではわからなかったけど、おじさんたちは落ち葉を効果的にゴミ袋に入れるため、さまざま道具を発明し、使用していた。
ひとつがこれ、段ボール箱で作られた入れ口。
クリップで袋に付ける。
これのおかげで、ゴミ袋の口がへなへなと閉じることなく、
しゃっきり開かれたままになるのでとっても落ち葉を入れやすい。
砂場に積もった落ち葉を集める時は、ふるいが効果を発揮する。砂を落とさないとゴミ袋に集めた時落ち葉が重くなりすぎるのだ。砂場の角の部分に渡したパイプの上でやると、少ない力でむりなく砂をふるうことができる。使う時のこつは一度に網の部分に落ち葉をのせすぎないこと。
なんでもひとは工夫して発展させるんだなぁと、連れとふたり感心しきり。おじさんたち手製のこれらの道具も、落ち葉拾いを始めた初期には存在しなかったはず。作業全体にゆっくりとすこしずつ改良を加えて、いまのおじさんたちがあるんだろう。人類の数万年の歩みもこんなもんなんだろうなぁ。
僕らが手伝い始めて10分もしないうちに、人類発展の歴史の最先端に位置するおじさんたちは休憩を始め、僕らもビールやおつまみを振る舞われた。参加した早々で休憩とはちょっと気が引けるけど、おじさんたちは気にせずお酒をすすめてくる。
「今日は何時頃からやってらっしゃるんですか?」と聞くと、「2時ぐらいからかなあ」とひとりのおじさん。時計を見ると今3時だ。一時間働いて酒盛り休憩ってすてきだ。連れはお酒をあんまり飲まないから、僕がふたり分飲むことになる。ビール2缶飲んだ所で、休憩終了、いい気持ちで作業再開。
休憩後は一時間みっちり落ち葉を集めた。僕は主に砂場担当だった。ふるいを使うのは以外と力がいるので、若い者が引き受けた格好だ。段々と集中力が増し、速やかに動けるようになってくる。おじさんたちはやはり疲れて来たのか、「もうきりがないからこれぐらいでいいよ」と終息をさぐってくる。僕がひとりではりきりすぎておじさんたちに迷惑をかけても意味がない。小山のように積まれたゴミ袋を集積所へ運び、おじさんたちにお別れする。
以前僕は所持金3万円で、ニューデリーからマンチェスターまで陸路で行こうとしたことがあった。しかも8ヶ月の旅程を考えていた。とても普通のやりかたではお金が続くはずがない。インドで普通に使えば1ヶ月たらずで3万円はなくなってしまう。物価の高いヨーロッパでなら2週間もつだろうか。
ニューデリーを出発するとき僕が思いついた解決策は、持ってるものでひとにあげられるものはなんでもあげてしまうということだった。
それからは行く先々で出会うひと出会うひとに思いつく限りのものをあげた。本をあげ、ネックレスをあげ、時計をあげた。寒い地方へ旅行するひとに会えばダウンジャケットをあげ、そのマフラーかわいいねといわれればその場ではずして差し上げる。ペシャワールでは使わなくなったショルダーバッグを日本人にあげ、イスタンブールではシヴァ神が浮き彫られたフラスコをイタリア系アメリカ人にあげた。
ハンガリーでは街角でバスキングして稼いだ金を全部使い、安宿の仲間たちにビールをふるまった。オーストリアでもその日の上がり15ユーロで材料を買い、家に泊めてくれた友人に料理をふるまった。
目的は荷物を軽くするためじゃない。
3万円ぐらいの金なら、節約してもどうせすぐなくなる。それをちまちまと惜しむぐらいなら、与えられるものをありったけ与え、巡り合わせの力を引き寄せるしかないと思った。
この世は、与えることによって成り立ってる。交換はこの世を維持することには役に立つかもしれない。けれど、命を巡らせることには役立たない。命は与えることでしか生まれない。
自分の命は親から無条件に与えれたもので、なにか取引をして受け取ったものじゃない。自分の最も根底を支えているものは、すべて与えられたものだ。それは世界中一人残らず変わらないし、全ての生き物についても同じだ。動物が食いあうことは、生きる力を与えあうことだ。人間も例外じゃない。与えることは自分の命のあり方を肯定することであり、世界を動かすエネルギーにみずから力を送り込むことだ。
だから僕は与えるしかないと思い、それを実行した。
僕はその旅行中、持てるものを与えられる限り与えるという決断を、一度も疑うことはなく、細胞ひとつ残らず懸けてその正しさを信じてた。そして、さまざまな、ほんとにさまざまな出会いに助けられて、旅程を達成した。
冒頭に書いた、僕の不安の種。現在ひとから与えられるほどにひとに与えていないという気持ち。端的に言えば生きることができなくなる道を歩んでいるということだ。それは恐い。
その日は公園から帰って、もらった野菜で鍋を作り、デザートには長野のおじいちゃんからいただいたりんごとマンションのおとなりさんがおすそわけしてくれたみかんを食べた。我が家のささやかながら大きな自慢は、毎日ごはんを食べ終わるたび、ふたり心から「ごちそうさまでした」と手を合わせられること。
与えあう循環のなかで暮らしを成り立たせることが必要だ。そういうつながりを手に入れ、仕組みとして定着させることが、今後の日本社会で僕のような人間が生きる道になるんだろうなと思ってる。